毛筆って難しいんですね!
いや、もちろん私も「筆って難しいなぁ」って、習いたてのときは思っていたんですが、「筆って難しいなぁ」がいつのまにかほとんど無くなっていました。
だからといって、「私はもう毛筆のすべてを知っている」なんてサラサラ思っておらず、半年も経てば、毛筆に対する考え方がアップデートされてしまいます。
短期間で考え方がアップデートされてしまうので・・・・
例えば、生徒さんが使うためのテキストを作ろうと思っているのですが、考え方がアップデートされてしまうので、なかなか着手できません。
なんだろう、おそらく傍から見たら、半年前に書いたものと今書いたものとで、ほとんど見た目は変わらないと思うのですが、それをアウトプットしたときの意識の部分が、だいぶ変わっているんですよね。
昔は○○という意識で書いていたけど、、今は●●という意識で書いている、という感じ。
意識が違えば当然アウトプットするものも微妙に変わってしまったりするので、それをテキストに載せてしまうことにとても抵抗があるんですよね。
とはいうものの、やはりどこかのタイミングでテキストを作りたいな、と思っています。
毛筆は、”慣れ”
これを言ってしまったらお終いなんですが、結局のところ、毛筆は”慣れ”なんですよね。
穂先のねじれ方や、筆管(ひっかん)の傾け方など、こうすればこうなる、という成功体験や失敗体験などを積み重ねることによって、”慣れ”ることができます。
自転車の乗り方と一緒で、慣れるまでが大変なんです。
「先生、私ぜんぜんできないんです」
と言われても、「いきなりできなくて当然ですよ、それが普通です」と答えるしかありません。
毛筆は難しいですから。
難しさの先に、おもしろさがある
難しいゆえに楽しいのです。
難しいゆえに発見できるのです。
私がわざわざ固形墨を磨って、漢字かな交じり文を書くようになったのはいつ頃でしょうか。
気づいたら固形墨を磨るようになっていました。
固形墨を磨るのは正直めんどうくさいですが、しかしそのめんどうくささを耐えてでも、固形墨には魅力があります。
冬の季節、暖房を利かせていたら、あっという間に磨った墨なんて蒸発しちゃいます。
それでもやっぱり固形墨なんですよね。
本当はもっと、固形墨と硯について研究したいのですが、この2つは、研究しようとすると物凄いお金がかかる分野なんです。
なので、今は数千円のものでガマンしています。
お金を気にせず研究してみたいものです。



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