【硬筆・毛筆】練習は、我流を消し去る作業でないとダメ

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硬筆・毛筆ともに、普段の練習というのは、我流を消し去る作業になっていないと意味がありません。

我流というのは自己流のことで、要は悪筆です。

悪筆というのは汚く見える文字のことです。

いかに我流を消し去ることができたかによって、上達具合が変わってきます。

汚く見えない、キレイな字とは

語り継がれている古典の書風のことです。

中国の古典、日本の古典。

現代、硬筆・毛筆ともにさまざまな書道団体の書風がありますが、元をたどれば中国や日本の古典がベースになっています。

古典から離れれば離れるほど、つまり悪筆ということになります。

唐の4大家

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欧陽詢「九成宮醴泉銘」

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虞世南「孔子廟堂碑」

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褚遂良「雁塔聖教序」

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顔真卿「多宝塔碑」

顔真卿は、晩年の顔真卿よりも若い頃の楷書のほうが個人的には好きです。

古典を臨書せよ、とまではいいませんが、キレイに見えるのにはちゃんと理由があります。

その理由をたくさん覚えれば覚えるほど、我流が抜けていき、自分の字が洗練されていきます。

「我流を消し去るぞ!」という意識で練習する

ただやみくもにお手本を書き写すだけでは練習の効果はあまりありませんので、

最低限、練習する際は「我流を消し去るぞ!」という意識で練習することをオススメします。