私はよく「今日は何の練習をしようかしら」と練習に困ることがあります。
「今の自分はこういうところがダメだから、こういう練習を・・・」
とか、
「この前はこれをやったから、今日は別のこれをやればいいかな・・・」
とか、
練習法に困ることがよくあるんですよね。
練習の選定ができないというか。
あれこれ考えちゃうと、結局なにをすればいいのかまとまらず、書道関係のネットショップに入り浸ってしまうことが結構あります。
本当に、1日中見てられますよね、古典作品とか筆とか墨汁とか。
「あれ欲しいなぁ~これ欲しいなぁ~何なら店ごと買いたい」
もっとお金があれば、もっと研究に費やせるんですけども、まだまだ先のお話になりそうです。
さて、この現状は良くないなぁと思って、どうにか筆を握って練習できないかと、良い工夫はないかと考えた結果、”何も考えずに古典臨書する”という結論にいたりました。
「いや、ちゃんと考えて臨書しないとダメなんでしょ?」
って突っ込みがあるかもしれませんが、筆を握らないよりかはマシですし、臨書していると、結局考えてしまうんですよね。
「何も考えずに臨書しよう!」という気持ちが臨書のハードルを下げて、取り掛かりやすくしてくれるのかもしれません。
そうすると、精神的なハードルを下げることが工夫の本質なのか?とちょっと悟りかけてきました。
今はお手本を書く立場ではありますが、やはり何か真似る手本があると、本当に楽なんですよね。
自分にとって古典というのは、精神的に寄りかかれる存在であって、目指すべき対象です。
書道は楽しんだもん勝ちです。1にも自分、2にも自分。まずは自分が楽しむために書道と良い関係性を築いていきましょう。
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