自分は書写も好きなのですが、いわゆる芸術書道も好きなので、空いた時間でチョロチョロっと書いています。
書写と比べて芸術書道の難しいところは、絶対的な正解がないということです。
書写の場合は、まわりがどんな状況だろうが、はめるべきパズルのピースの形はほぼ決まっているのに対して、
芸術書道の場合は、まわりの文字の状況、余白によって、はめるべきパズルのピースの形が毎回変化します。
芸術書道は、さすがに独学は無理なので教室に通って先生に添削をしていただいています。
上手に書けた!と思える瞬間は殆ど訪れないのですが、書きたいと思っていた線が書けたので、それをご紹介しようかなと思います。
「揚」の2画目、きへんのタテ画が、しっかり太く力強く書けたのですが、これがずーーーっと書きたかった線だったのです。
書きたかった線が書けた瞬間は、前回は確か2023年の夏ごろだったと思います。なので約4,5ヶ月ぶりくらいに、書きたかった線が書けました。
たった1本の線を表現するために4,5ヶ月かかってしまいましたが、芸術書道なんてこんなものだと思います。
いや、書写もそうかもしれません。
私の書写の勉強方法の一つは、とにかく字が上手な人の筆跡を観察して、そこで使われている技術を盗むようにしています。
技術を盗むだなんて、昭和の匂いがただよってきてしまうレガシーな方法かもしれませんが、結局のところ自分にとっては、この方法が一番上達が速いと悟りました。
「その技術いいね!」と思ったら、さっそくそれを同じように実践してみるのですが、当然すぐできるはずもなく、表現したいときに表現できるようになるためには、いつも数ヶ月かかっています。
上手な字を見て、使われている技術が見えればまだ良い方で、実のところ、見えないことのほうが多いです。
そこにあるはずなのに見えない。この現象って、私が好きな漫画の一つ、「金色(こんじき)のガッシュ」の魔物の本に似ているなぁと、いつも思っています。
魔物の本には、魔界の字で呪文が書かれているのですが、本の持ち主のレベルが上がらないと、その呪文が読めない仕組みになっています。レベルが上がると、読めなかった呪文が読めるようになります。
確かにそこに書いてあるはずなのに読めないという、この状況がすごい似ています。
おそらく全ての分野においてこの現象は共通かもしれませんね。
話を書写に戻します。
本人のレベルが上がれば、上手な字を観察するときに、細かいところまで見れるようになるんじゃないかということです。
見えるからこそ、次のステップ、それを自分でも実践してみるという段階に移れるんだと思います。
ただ、”実践するかしないか”という判断をするときに、”実践する”を選択しないと上達しません。
そして”実践する”を選択しても、それを継続して実践しないと、自分が表現したいときに表現できるようになるという段階には到達しません。
という感じで、上達のためには3つの関門、
①上手な字の細かいところが見れるになる
②実践するかしないかの判断で、実践をするを選択する
③継続的に実践して、表現したいときに表現できるようになる
これらを突破しなければならないんじゃないかなと感じています。
文字にするとシンプルですが、実際にやろうとすると、かなりムズカシイです。
この中で、①のステップは硬筆1級 第2問 楷行草の頻出語句のお手本+お手本の見方マニュアル(おまけ)のお手本の見方マニュアルを熟読いただければ、ほぼ対処できると思います。
②は覚悟を決める、③は根気です。