私は書道教室の先生をやっていますが、実は先生と呼ばれることにちょっと抵抗があります。
それは、「私みたいな未熟な者が先生だなんて、はばかれる」みたいな感情が湧くからです。
ですので、”教えられるところは教えて、生徒から学ぶところは学ぶ”というスタンスをとって、先生をさせていただいています。
そもそも、先生と呼ばれたいから教室の先生を目指したわけではなく、純粋に人に教えるのが好きだったから、教室の先生という選択をしたのです。
中には先生と呼ばれたいがために先生を志した人もいらっしゃるようですが、私はそういう類ではありません。
人爵よりかは天爵を目指す
私はあまり、人爵というものに興味はなく、天爵のほうがカッコいいと思っています。
人爵(じんしゃく)とは、今でいうその人の職位や肩書き。
天爵(てんしゃく)とは、自然と備わった立派な人格、人望、徳の高さ。
その人が全くの無名であっても、天爵さえあれば、その人は素晴らしい人なのです。
職位や肩書きがスゴイからスゴイのだ、というのは、私はあまり興味を引きません。
私は、天爵がある人を強く尊敬します。
※人爵、天爵という言葉は、孟子の言葉にでてきます
硬筆・毛筆書写技能検定1級は、指導者クラス
硬筆・毛筆書写技能検定の1級は、別名指導者クラスとも呼ばれています。
1級に合格すれば、「人に教えても大丈夫なぐらい、あなたはお上手ですよ」というお墨付きをいただけます。
ゆえに難しく、「上手なのに、なぜ落ちるんだ」と思っていらっしゃる方がゴマンといます。
指導者=先生になれるレベルの資格ですから、そりゃ生半可な練習では落ちるに決まってますよね。
やはり先生と呼ばれてしまうような資格は、人より努力しなければならないのです。
ここを理解できるかどうかで、1級を合格できる資質があるかどうかが判明します。
理解できない人は一生理解できないし、理解できる人はすんなりと理解できます。
1級は、脳みそを変形させる必要がある
ものすごい大げさな表現ですが、1級合格のためには、脳みそを変形させるくらい努力必要があると思いました。
硬筆・毛筆書写技能検定というのは、参考書だけを読んでいれば合格できる類の試験ではなく、むしろアウトプット(=書くということ)が超重要なのです。
”覚えて、書く”
”考えて、書く”
これをひたすら繰り返します。
無意識レベルで書けるようになれば、それは脳みそが変形したということになります。
脳みそが変形したなぁと思えるぐらい、努力してみてください。
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