いま教室は年末年始のお休みをいただいているのですが、この休みを利用して、孫過庭(そんかてい)の書譜(しょふ)を読んでます。
中国の唐の時代に、孫過庭という書家がいたのですが、その作品のひとつに「書譜」という有名なものがあります。
全て草書体で書かれているので、一般の人は読みづらいのですが、書いてある内容がすばらしいのです。
ざっくり内容を要約すると、「王羲之ってやっぱりすごい」っていう内容です。
そんな感じなのですが、まぁ評論家おじさんが書いたようなやつです。
でも孫過庭は口だけの評論家おじさんではなく、その筆跡も大変すばらしいもので、本当に説得力があります。
おもしろいなぁと思った一部を抜粋してみます。
吾嘗盡思作書。謂爲甚合。時稱識者。輒以引示。其中巧麗。曾不留目。或有誤失。翻被嗟賞。旣昧所見。尤喩所聞。或以年職自高。輕致陵誚。余乃假之以緗縹。題之以古目。則賢者改觀。愚夫繼聲。競賞豪末之奇。罕議峯端之失。猶惠侯之好僞。似葉公之懼眞。
超意訳
私はかつて、会心の出来栄えの作品を作り上げ、鑑識眼に優れているといわれる者たちに、その作品を見せてみた。
そうするとその者たちは、その作品の中の特に素晴らしい部分には目もくれず、かえってどうでも良い部分を褒め称えた。
彼らは、実際には鑑識眼は無く、机上の空論に明るいだけだった。
中には、自分の年齢や官職だけが良いことに、作品をけなす者もいた。
そこで私は、その作品を立派な布で表装し、古めかしい題をつけてみた。
そうすると、世間的に有名な者たちは見方を変え始め、さらには訳のわからぬ者たちも雷同し、これまたどうでもいい部分を褒め称え出したが、筆法の誤りなどを論じることまではできなかった。
恵候は贋作だと気づかずにそれに喜び、葉公が本物の龍に恐れたという話に似ている。
雷同:
はっきりした考えを持たないで他人の言動にむやみに同調すること。わけもなく他に同意すること。
人は、雰囲気さえよくしてしまえば、簡単に騙されるということです。