硬筆の先生、書道の先生、書写の先生・・・
とにかく〇〇の先生と呼ばれる人は、生徒が抱えている「モヤモヤ」しているものを、解消しなければなりません。
「モヤモヤ」は、多くの場合は「それが、なぜそうなるのかか?」と疑問を抱いている状態です。
「お手本をよく見て」
「自分で考えてみて」
という指導は、生徒の「モヤモヤ」を解消することができません。
だからといって、すぐに答えを教えても生徒のためにはなりません。
一場良い指導は、生徒が正解にたどりつくための「絶妙なヒント」を与えることです。
なぜかというと、生徒自身が気づいた方が自分の身になりやすいからです。
(故に、個別指導/少人数制指導でないとこの指導ができない)
字頭が良い子、要領の良い子は、吸収が早い子は、逆にこういった丁寧な指導は必要なく、学校のような講義形式や、自習教材で学習を進める形態のほうが向いているかもしれません。
(公文教室がこれですね)
コメント