私の場合、書くという行為自体が好きだったので、1日何時間も、それこそ10時間以上書き続けることは、そこまで苦しいことではありませんでした。
独りで黙々と、
「いや、こうじゃない」
「もっとこうしたほうがいい」
「全然お手本と違う」
このように、書いては否定し、書いては否定し、それの繰り返しで徹底的に自分を否定し続けていました。
自分を否定し続けていると、やはりしっかり上達するものです。
そしてある程度上達すると、そこから更に上達するための”課題”を見つけることが難しくなってくるんですね。
上達をする上での課題が見つからなくなってしまったときは、書く行為が苦しく感じる
これが本当に、本当に苦しいときです。
あんなに楽しかった”書くこと”が楽しく感じなくなってしまうのです。
自分のアイデンティティが”書くこと”でしたから、もう大変です。
なぜ生きているのだろうか?そんなふうになってしまうんですね。
苦しみの末、私が以前記事でまとめた書写能力診断テストを受けてみた感想の記事の中の”得点する考え方”を編み出し、自分の良い所だけを伸ばすのではなく、悪いところも無くさなければならない、という考え方に至り、難(?)を逃れました。
つまり、それまでの私は
上達すること = 漠然と上手になる
という考え方だったのが、
上達すること = 自分は良いところと悪いところがあり、その2つを伸ばすという行為が、上達することだ
という考え方に変わったということです。
「いや、そんなの当たり前じゃん」
と思われるかもしれませんが、自分でこの事実に気づき、そして必要だと強く感じるから実践する、ということがとても重要なのです。
考え方が変わったことで、それまで見えなかった課題がたくさん見つかり、むしろ課題が山積し、再び書くことが楽しくなったのです。
その苦しみは、成長痛
全ての苦しみは自分を成長させてくれるための成長痛だと言い切ることはできないのですが、
苦しみ=今、自分が成長している証だ、だから痛みを感じているのだ
と思考を変えてしまうと、なんだか頑張れる気がしませんか。
でも、気をつけたいことが一つ。
理不尽な苦しみは避けたいのです。
例えば、人間関係の理不尽な苦しみとか。
他人の役に立っている、他人を喜ばせている、他人を幸せにしている、なのに自分が自分らしく輝けていなければ、まずは違和感を覚えたほうが良いと思います。
違和感を覚えたうえで、自分は本当に輝いていないのか?その輝きに気づいていないだけではないか?と、自問自答されるとよろしいかと思います。
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