【硬筆・毛筆】キレイな字は「教養」の表れ

マインド

私が色々な意味で尊敬している故・江守賢治先生の著書の中に、こんな一文があります。

「なお、芸術は人を喜ばすものであり、教養はひけらかすものではないと考えています」

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教養はひけらかすものではないということ

そもそも教養とは、

㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。

㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い教養のある人」「教養が深い」「教養を積む」「一般教養」

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%95%99%E9%A4%8A/

という意味らしいです。

なぜ教養はひけらかしてはいけないのか?

相手に求められていないからだと思います。

相手がそれを求めているならば教養は見せても良いですが、そうでないから”ひけらかす”という嫌味な意味をもつ表現に堕ちるんだと思います。

「あなたのために・お前のためにやったんだ!」

気持ちはありがたいのですが、相手がそれを求めていないのであれば、それは完全なお節介であり、善意というボールを大きく振りかぶって剛速球で相手の顔面にぶつけているような行為です。

善意は必ずしも感謝されないこともあるんだ、そういう世の中なんだ、ということを覚えておいたほうが良いかもしれません。

”キレイな字”は、どんな状況でも嫌味が全く無く、”教養”をアピールできる

やっと書道教室っぽい内容です。

でもやっぱり人間というのは、教養ってアピールしたいですよね。

「俺(私)の字ってすごいキレイなんだぜ」と言って、相手に見せびらかすのは論外ですが、日常やビジネスシーンでサラっとキレイな字を書くことで、さり気なく”教養”をアピールできます。

これは、全く嫌味がありません。

むしろ読みやすい文字を書いているので、他の人はとても助かるのです。

私は”キレイな字”のことを第一印象ではなく”第0印象”と呼んでいたりするのですが、やはり最初の印象が良ければ、他人は「良い人間のはずだ!」という視点で見続けてくれるんですよね。

それぐらい”キレイな字”というのは、神聖なもの、特別なもの、不可侵なもの、そんなふうに思います。

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